政治の世界でも、身近な問題でも、考えなくてはいけないトピックというのは山のようにあります。

そういうときにどう考えれば、出来るだけ冷静・客観的にものを語れるのか?

私なりの方法論を書いてみます。

まず、前提として、ある物事には必ず正の面と負の面があります。いわゆるメリットとデメリットです。100%メリット、100%デメリットというのはまずあり得ません。

そのうえで、その物事を「行う」または「変更する」あるいは「やらない」ことによって、どのようなメリットが発生し、どのようなデメリットが発生するのかを考えます。ここで、メディアやネット、文献などを使ってその物事について調べるわけです。ここでは原則、主観を入れてはいけません。「なるほど、そういう意見もあるのか」と思うまでです。

そうしたあとで、メリットとデメリットはどちらが上回っているのかを「判断」します。
この「判断」で初めて主観が入ります。
そのため、まったく同じメリット・デメリットを思い浮かべたとしても、その人の環境や境遇などでどちらが上回っているのかに違いが生まれます。

こうした経緯を経た人たちが初めて、「議論」をすることが出来るというわけです。

仮に、結論を出さないといけない場で「議論」を行っているのならば、このあと「妥協」、「妥結」をしなければいけません。間違っても相手の主張を論破し、自らの主張を全面的に通すことを考えてはいけません。そもそも、そのトピックについての調査で相手の言い分も一度飲みこんでいるので、「そちらの言い分も分かるけど」という余裕が出ますので、妥協しやすくなっているはずです。

こういう流れを経れば、おかしな話にならずに済むと思います。議論は常に痛み分けです。どちらもある部分で敗者であり、ある部分では勝者なのです。

ところがどっこい多くの場面で、論破・勝利を目標にしている人々がたくさんいます。自分の考えを持つことは非常に重要なことですが、相手がなぜそのようなことを言っているのかを理解することはその倍ぐらい大事なことです。

みんながこういう考えを持っていれば、もうちょっと良い世の中になるんじゃないかなあと思ったりするのですが……。
(ちなみにこの話は「ディベート」とは別ですよ)

さらにちなんで言うと、上の「判断」が「実証」に変わると、あら不思議、レポート・論文になります(笑)
まあ、論文の場合は考える時の軸がメリット・デメリットでない場合も多いので必ずあてはまるわけではありませんけど。

まあとりあえず、みんな仲良くやったらいいんですよ。どうしても気に食わない人からは離れる、無視する。それでいいんじゃないでしょうかね。はい。

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