1.はじめに


衆院選も終わったので、思ったことをつらつら書いていこうと思います。

今回の選挙結果を見て、私は改めて思いました。
そもそも日本人に民主主義って合っていないのではないかと。

どうしてこう考えるのか。
これをひも解くには民主主義の歴史を解き明かさなくてはいけません。
「民主主義」という観点から時間旅行へ行きましょう!

2.古代の民主主義~ギリシアとローマ~


世界で最初に民主主義が成立したのは古代ギリシアであると言われています。正確にはアテネの民主制ですね。これにもいくつかのステップがありました。簡単に言うと、以下のような感じです。

貴族政治の時代
(貴族は金があり、武器を買えたので、兵役の義務も持った。兵役と参政権は裏表の関係だった)
  ↓
経済の発展(植民活動で貿易が伸びた)
  ↓
市民の中でも金を持ち、軍隊に参加できる人が現れる
  ↓
貴族だけが参政権を持つ体制が動揺
  ↓
貴族/市民という分け方ではなく、財産で兵役と参政権に差をつけるようになった(ソロンの改革)
  ↓
ソロンの改革はあまり上手くいかず、民衆に不満が溜まる
  ↓
この民衆の不満を利用して、非合法的に政権を握る僭主が現れる
  ↓
クレイステネスの改革で、地域ごと議会のようなものをつくり、僭主になりそうな人を投票で追放できるようになった
  ↓
ペルシア戦争が発生。サラミスの海戦で無産市民(貧乏人)が活躍し、戦後発言力が増大
  ↓
ペリクレスにより、すべての市民が参加する政治が完成(これを民主政治と呼ぶ)


当時の社会は財産を持つものが立派であり、高貴な人物であるとされており、いわゆる「ノブレス・オブリージュ」(高貴なる者の義務)として軍役がありました。兵士になることは社会的に上位にいる象徴だったんですね。しかし、経済の発展で富裕層も武器が買えるようになると、彼らも「俺たちにも政治に参加させろ!」と言いだします。さらにペルシア戦争で無産市民が活躍し、彼らも「戦争の勝利に貢献したんだから、俺たちにも政治に参加させろ!」と言い出しました。結果、全市民による政治が確立していきました。

ただし、古代アテネの民主制は現在とは違う部分も多々あります。まず、政治に参加できるのは成年男子の市民だけでした。これはやはり軍役が参政権の裏にあったからだと思います。また、当時のアテネは奴隷がたくさんおり、労働の多くは奴隷が行っていました。そのため、市民は基本的に暇で、政治や学問に専念できたんですね。これもあって、古代ギリシアではたくさんの科学的発見が為されました。そしてアテネという1つの街の政治だったので、直接民主制が成り立ちました。市民全員が国会議員ってわけです。さらに官職も抽選という徹底ぶり。

こう見ると財産(→軍役)が民主政治の大きな推進力だったことがうかがえます。苦労してんだから、運営にも口をはさませろ!って感じです。

ちなみに、この民主政はペロポネソス戦争中に変質し、崩壊しました。戦争中には好戦的なデマゴーガーが民衆を煽り、正常な議論が行われない衆愚政治に陥ってしまったんですね。どこかで見たことのある光景です(笑)

次に古代ローマ(共和制ローマ)を見てみます。

当初は貴族が政治を行った
  ↓
市民は軍隊の主力として活躍し、政治的権力の獲得を目指し、貴族と対立
  ↓
貴族が折れて、市民(平民・プレブス)による議会を設置
(ただし、貴族たちの議会である元老院が優越)
  ↓
以降も、平民の力は増大
  ↓
ホルテンシウス法で、平民会と元老院は同等の力を持つことに


古代ローマでも軍役と参政権がほぼセットで語られていました。

ローマはその後、戦争や土地経営の変化で市民が没落し(貧乏になった)、傭兵(お金をもらって兵士になる)人が増加し、日本で言うところの戦国時代のような時代に突入していくことで、民主政(共和制)が終焉しました。

ギリシアもローマも貴族優位だったものが、市民が裕福になるにつれて発言力が増し、民主政治に近づいていったという流れです。

違いは、ギリシアは貴族が政治的な意味では消え、すべて平等の直接民主制を行ったのに対し、ローマでは貴族の権威は保持され、対抗軸として平民会が出来たことと、間接民主制がとられたことです。

いずれにせよ、民衆が財産そして社会への貢献(軍役)と引き換えに参政権を希望したところに古代の民主政の特徴があります

次は近代の民主主義につながる「清教徒革命」や「フランス革命」、「アメリカ独立戦争」について見てみようと思います。

でも長くなりそうなのでまた後日!

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