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なんかまた堅い話題になってしまいますが、今回はなんで社会は男尊女卑なのか(だったのか)についての所見を。

あ、先に書いておくと、私は男女平等に反対とかそういう考えは持っていません。どっちかというと「個人」を軸に考えるべきだと思っているので性別云々はあまり気にしません。

で、なんで男尊女卑なのか、なんですが、日本は以前から男尊女卑の文化が比較的強いですよね。今も男女平等は進みつつはありますが、完全に払しょくできていないのが実情でしょう。

でも、男尊女卑自体は日本だけではなく、濃淡こそあれ世界でほぼ共通してみられる文化的特徴だと思います。性別分業も基本的に同じです。これは何故なのか、ということを考えてみたのです。

性別分業というのは、「男は外で働き、女は家で家事」なわけですが、これは文明以前からの動物的なものの名残なのでしょう。男は外で獲物を獲る。その間女は家で家事をする。それ以外に生活で要されるものというのは多くなかったでしょうからそれで良かったのだと思います。

問題なのは男尊女卑のほうですね。文化が大きく発達していない場合、母系制で社会が成立していることが多いのではというイメージがあります(実証的データは無いのであくまで私の主観です)。日本でも平安時代の貴族の結婚は通い婚で、男性のほうが女性の家に通って結婚生活を送るという形になっています。感覚としては婿入りですね。に対して、文化が進むと父系制に変化していく傾向にあるのではと思います。

なんでなのかなあと考えていくと、男女差に答えがあるのでは、という気がします。

事務的な能力や交渉能力などは個人差は当然ありますが、女性の方が男性より高いと思います。だって、家事なんてすごいですよ。料理、洗濯、掃除、子育てなどを同時並行でこなさなけれればいけないんですから。これを世の女性の多くは愚痴を言いつつも達成しているわけです。男性がやるとなるとなかなか大変です。もちろん慣れもあるでしょうが(笑)

逆に男性はスポーツなんかに象徴されるように、組織で生きる力(タテ社会)では女性より優れた能力を持っていると思います。戦術を考え、それをこなす力ですね。

ただ、男性の能力が発揮されるのって基本的に体力仕事と狩猟採集なんですよね。古代と変わらず。現代社会において男性が女性より強い能力を発揮できる場は多くないのではと思います。逆に女性の事務能力や交渉能力がむしろ必要とされている時代でしょう。

日常生活において、男性に優れた能力と女性に優れた能力を比較すると、強みを発揮するのは女性です。なので家庭で力を持つのは女性である場合が多いわけですね。

でも、社会全体で考えると、女性のほうが必要とされている部分で能力が高いからといって女性ばかり登用しているとバランスがとれなくなります。だから、男尊女卑という社会規範がつくられたのではないか、と私は考えます。

要するに、
古代では……
男性=狩猟採集(仕事)/女性=事務・交渉(家事)
と明確に分離していたものが、
男性=事務・交渉(仕事)/女性=事務・交渉(仕事&家事)
と重複するなかで、男性側が社会で生き残る術として「男尊女卑」という社会規範をつくりだしたのではないかというわけです。

社会規範をつくってしまえば、これに抗うのは困難になりますから、能力と関係なく、女性の地位を低下させることが出来、男性は能力が低くても地位を維持することが可能になります。

しかし、現代では人権意識の向上で、この規範の意地が難しくなってきています。

そうすると、男女平等という掛け声で女性の地位向上が進む中、逆に男性の方が差別的扱いを受けるケースも出てきています。

今女性が苦しんでいるのは、職場での地位でしょう。これは男尊女卑規範の根幹をなす部分ですから、ここを是正するのはそれだけ難しいわけです。逆に日常生活の部分では、女性の方が生活能力が高いのですっかり女性優位です。家庭において男性は「あれもやれ、これもやれ」と配下状態です。金銭運搬マシーンのごとく。まあ、女性からすれば当然色々言い分があるのでしょうし、家庭によってケースは千差万別ですので一概にどうとは言えませんけど。

しかしこうなってくると、今後どう進めばいいのか。
今回はそういう話だったので、男女の能力差という観点で書きましたが、実際は個人によっても大きく能力は異なります。性別は傾向に過ぎません。女性でも男性的な能力が高い人もいれば、男性で女性より仕事が出来る人だっているわけです。

そういうなかで必要となってくるのは、やはり「個人主義」でしょう。
時々、誤解している方がいますが、「個人主義」と「自己中心主義」は似て非なるものです。個人主義というのは、集団の中で自分が発揮できる能力(個性)を発揮すれば良いというものだと私は考えています。自己中は集団とかは関係なく、自分がしたいものをただしているだけで単なる迷惑行為です。

その意味で成果主義に私は反対します。
頑張って成果を上げれば上げるほど報われる。一見よさそうに聞こえますが、これは個人を無視しています。
目に見える成果が出やすい分野に得意能力がある人と、目には見えにくい部分で成果を出す分野に得意能力がある人がいて、同じだけ頑張ったとしても成果主義では報われるのが前者ばかりです。もしやるなら組織単位にした上で、人事権を各組織において適材適所に配置しやすくするなどしないとだめだと思います。

「私はこれが得意です。あなたはそれが得意なのね。じゃあ、私はこれをやるから、あなたはそれをやってね」
これが組織とか集団の意味ではないでしょうか。肩書きや地位、身分で能力とは関係なく、これをやらなければならないと決められているなんて私には納得できない部分です。
得意なことが分からない場合には、とりあえずやってみるというのも大事だとは思いますけどね。

と、まあ、そんな感じで、私は個人を大事にしたいと思っていますよという話です。性別とか、肩書きとかではなくて、ある人が最も力を発揮できるのはどこなのかを探していくのが大事なことだろうと思いますし、それが出来るだけの精神的な余裕が社会に欲しいところです。

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