先日、弟がライトノベルの「“文学少女”シリーズ」の劇場版を借りて来たので、簡単に見ていました(正確には最初の方と最後。珍しく原作既読だったので)。

ラノベの「“文学少女”と慟哭の巡礼者(パルミエーレ)」が基本的な原作でした。
まあ、映画的には「うーん?」という感じでしたが、本作のモチーフが宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」だったこともあって、兄弟でプチ宮沢賢治ブームになっております(笑)

私は地元の図書館で詩集を借りてきて読んでおります(ちなみに弟は「銀河鉄道の夜」の文庫を買っていました)。
賢治の詩は難しくて、どういう意味なんだろう?というのが多いんですが、印象に残った詩が今回の記事のタイトルになっている詩です。
「疾中」という病床で書かれた詩集なので、「死」に関する詩が多いんですよね。
「そしてわたくしはまもなく死ぬのだろう」は正確にはタイトルが無く、1行目の文を仮題としているものです。

そしてわたくしはまもなく死ぬのだろう
わたくしというのはいったい何だ
何べん考えなおし読みあさり
そうともきゝこうも教えられても
結局まだはっきりしていない
わたくしというのは
(以下空白)


賢治のような色んなことをして、死後ではありますが高い評価を得る作品を多数輩出した作家ですら、死ぬ寸前まで「わたくし」とは何か?を考えていたんですね。
(以下空白)というのは本当に空白だったようですが、賢治がこの後何かを書くつもりだったのか、これで詩はおしまいなのかは分かりません。
個人的に解釈するならば、最後の「わたくしというのは」の後には解答を書こうとしていたのではないかと思えます。でも、結局最後までその解答は見つからなかったのではないでしょうか。

こう考えると、「自分ってどんな人間?」というのは考えても考えても分からないし、分かるものでもないのかもしれません。
賢治も別の文献(「農民芸術概論綱要」)で『永久の未完成これ完成である』と書いているので、分からないということが分かるというのが大事なのかもしれません。
分からないからこそあれこれやってみて思索していくのが重要なのかもしれませんね。

賢治は農民の生産向上のため力を尽くしましたが、あまり成果は上がりませんでした。
それでもそういうものを思い描き続けたが故に、たくさんの作品を残し、今でも慕う人がたくさんいるのだと思います。
彼は成功者ではありませんでしたが、だからこそ、私たちに強く訴えるものがあるのかもしれません。
この世界の大半の人は成功できませんが、それは失敗では無いはずです!
何かを残すことは出来るはずなのです。たぶん!←

全然このブログの趣旨と関係ないですが、心に残ったので書いてみました。
え?アニメ?……orz

追記
なんかブログの記事編集画面が変わりましたね。
前みたいにテーマは設定出来なくなってしまったんでしょうか?

下にありましたね(笑)さっき発見しました。
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