上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
なんか最近多いですが、また勉強ネタを投下します。

え、そんな、サボってるなんて、あ、あるわけないじゃないか!

というわけで、今回は歴史的視点でキャラ萌えに迫った部分をまとめてみました。

目次
1.確認~オタクに外せないもの~
2.ガンダム型アニメ鑑賞法~重要なのは世界観~
3.エヴァ型アニメ鑑賞法~重要なのは設定/キャラ~
4.RPGゲームの登場とラノベ的手法の確立~みなみけはかわいそうか?~


続きが読みたい方は追記からどうぞ!

こういうのが好きな方はお付き合いください……。
1.確認~オタクに外せないもの~
最初なので、この話の前提になる前回(③)の確認をします。

前回はキャラ萌えの源流は80年代アイドルにあるという論展開をしました。

簡単に言うと、以下のようになります。

70年代~   キャラ
80年代~ 人  キャラ
90年代~   キャラ

要するに、現在のアニメファンの多く(全員ではないところが社会学のミソです。例外が必ずあるんです)、オタクはキャラ(設定/性格)が大事であると思ってさまざまなコンテンツに触れているということです。

2.ガンダム型アニメ鑑賞法~重要なのは世界観~
※私自身は1作もガンダムをまともに見ていないので、的外れなことを書いているかもしれません。ご了承ください。

ガンダム型アニメ鑑賞法と仰々しい名前を付けましたが、90年代以前、80年代・70年代それより前にアニメに親しんだ世代(社会学者の宮台真司いわくオタク第2世代)のアニメへの接し方を総称しているという意味です。代表作としてガンダムがあげられています。

ざっくり言いますと、以下のようになります。
・(公式)ほぼ世界は同じ(宇宙世紀という独自の暦を持つ架空の世界)
・(二次創作)公式における大原則は守られる
・作品世界を理解することが大事


要するに、宇宙世紀と呼ばれる世界があり、そこにアムロがいて、シャアがいて……という風になっていることが大事なのです。アムロだけが別の世界にポンと出ても無意味なのです。

これを『物語消費』と呼ぶことにします。(というか本で呼んでいます)

3.エヴァ型アニメ鑑賞法~重要なのは設定/キャラ~
対して、90年代以降の私たちの世代はこちらのエヴァ型アニメ鑑賞法をとる人が多いです。

これも簡潔にいきます!
・(公式)世界の単一性は無く、オリジナルが特定不能
・(二次創作)世界観の原則は無い
・各自のポイント(フェチと言っていいかも)のみが大事


身に覚えがある人は多いんじゃないでしょうか(笑)

いまだにエヴァンゲリオンは完結していません。それが象徴的ですが、エヴァには崩すことのできない世界観が存在しません。私は新劇場版は見ていないのですが、テレビ版と1回目の劇場版は見ています。最終回が2パターンってどないこっちゃという話ですよ。(まあ、それはそれで魅力なのかもしれませんけど)

でも、それでもオタクにエヴァファンは多いです。なぜか。それはキャラのポイントあるいはメカニック的なもの、設定が大きいのではないでしょうか。

「ツンデレ」が好きな人はアスカが好き!とか、シンジの陰鬱な感じに共感したりとか。

要するに、我々の世代のオタクは世界とキャラクターを切り離し、断片の設定のみを楽しむ手法をとっていると言うことが出来ます。だから、エヴァのいない世界でシンジやアスカ、綾波がいても別に違和感は感じません。むしろ面白がるでしょう。あの暗い、使徒がいつ襲来してくるか分からないなんて世界にいるより軽いラブコメみたいになっていいかもですね(笑)

このような消費法を『データベース消費』と呼ぶことにします。

4.RPGゲームの登場とラノベ的手法の確立~みなみけはかわいそうか?~
この変化はなぜ起きたのでしょう?

そのカギを握っているのはRPGゲームの登場かもしれません。

それまでのゲームあるいは作品の楽しみ方は「小説的」でした。小説は現実の常識に依拠しています。つまり同じような価値観が見ている人にあることを想定して書かれているのです。

ところが、RPGゲームの登場はこの価値観を一転させます。それは物語の進行をプレイヤーに委ねたからです。これによって、物語を「外側」から眺めるのではなく、「内側」から演じるという「ゲーム的」手法が誕生しました。小説の主人公の生は1度です。でも、RPGの主人公の生はプレイヤーが変われば、あるいはプレイのたびに変化するので、複数の生を生きることができます。

なのでRPGゲームの世界では、物語の魅力が舞台にすぎなくなったことで後ろにしりぞき、キャラクターの魅力が前に出てきました

面白いのは、この手法がほかの分野にも飛び火したことです。「ロードス島戦記」や「スレイヤーズ」のヒットで物語の展開より、キャラクターの設定を優先する創り方/楽しみ方が登場してきました。これが「キャラクター小説」、今で言う「ライトノベル」の成立です。

これに従って、オタクの作品を見る方法が変わりました。つまり、物語の設定へのこだわりが減少したことで、突飛な設定があったとしてもそれは「お約束」として処理されるようになったのです。これらの集積が「データベース」です。

たとえば、「みなみけ」の南家では親が一切出てきません。普通の小説だったらこれは何か重大なことがこの家庭にあるはずです。でも我々はこれをお約束ととらえます(ここをツッコんで批判する人はちょっとKYですw)。むしろ、親がいないことで3姉妹の行動にのみ注視できるのです。

このようなものが積み重なれば、家庭をよく舞台にするコメディ作品では親が出てこないというデータベースが完成し、それは他の作品でも使用されますし、メディアミックス作品によって容易に学習できるようになるのです。

というところまででいったん終了にします。

次はもう少しこの論を展開し、日本社会に視点を広げてみようと思います。
これ誰得の記事なんですかね…。あ、俺得か。

では~。


参考文献(ほぼ引用です!)
南田勝也・辻泉編著(2008)『文化社会学の視座』(ミネルヴァ書房)
※本当はP数も示したほうがいいんでしょうが、論文やレポートではないので省略させていただいています。気になる方がいましたらすみません。
関連記事
Secret

TrackBackURL
→http://hiraisoanime.blog.fc2.com/tb.php/671-9e9e4160
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。