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今回はリトルバスターズ!の第13話『終わりの始まる場所へ』の感想です。

【あらすじ】
美魚はもう何日も学校を休んでいた。
理樹も雷鳴の中に立つ彼女を見かけて以来、会うこともできないでいた。
やがてクラスメイトはもちろん、仲が良かったメンバーたちさえも美魚のことを話題にしなくなっていく。
いつもと違う、何とも言いがたいぼんやりした感覚――そんな漠然とした不安の中、
理樹は中庭で久しぶりに美魚の姿を見つける。
いつもと変わらぬ微笑みを浮かべる美魚だったが、その瞳はどこか寂しげでもあった――。
(公式サイトより)

【感想】
・おやおや? なんだこれは。でも言われてみれば自分にもそんな節があるような……。そんな回でした。

・こっちも漠然とした不安を感じましたよね。何が起きるってんだ!という感じで。こういう演出は上手ですねえ。

・巽さんは一人二役でしたが、ばっちりでしたね。普通に聞いたら同一人物だとは思えません。やっぱり声優はすごいなと思いました。

リトバス13話
<今回のひとこと>
美魚「もしもわたしが、この世界から消えてしまったら、わたしが生きていたことは忘れられて誰の記憶にも残らないでしょうね」
人間の「死」には2種類あると思います。
1つはいわゆる「死亡」。身体的な死です。
もう1つは、「存在の死」です。
仮に今、私が死んだら、私のことを覚えている人は、家族、友人、多少なりとも私と関わった人になるでしょう。
そして、関わった濃度が薄ければ薄いほど、その人は早く私を忘れるでしょう。
私も、小さい頃優しくしてもらった記憶のある祖父や祖母の顔は覚えていますが、声は覚えていません。いや、顔だって写真を見て知識で覚えていると勘違いしているだけかもしれません。
そして、私のことを覚えている人がこの地上から誰もいなくなった時。
私は存在が有ったことすら無いことになり、「存在の死」を迎えるのです。

通常、死亡→存在の死というのが普通の流れでしょうが、中には身体はあるのに、存在では死んでいるという人がいるかもしれません。
これは人間という高度に社会性を持った生き物にとって最大の精神的苦痛です。であるがゆえに、孤独死や無縁社会という言葉が衝撃を持って社会に受け入れられたのです。
そしてこの存在を支えるのは「記憶」です。しかし、これが悲しいほどあいまいで、混沌としています。でも忘却からは誰も逃れられないのもまた事実です。実体が無ければ、存在(=記憶)は当然薄くなります。だからこそ、私たちは自分の存在を自分で守るために行動しなければいけないと思いますし、相手の存在を守る努力をすべきだと思います。
ちょっと話がずれますが、現代社会に生きる人は、どうにもこの相手を守るという視点が欠けている気がしてなりません。
性別も、国籍も、宗派も超えた次元にある人間としての尊厳をもう1度考え直す時代ではないかと最近のニュースを見て思うのです。

長くてすいませんorz


と、いうわけで今回の感想はこれでおしまいです。

では、またどこかで。
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