「個人主義」という言葉は、使いどころや使い道によって色々な意味を付属させる言葉です。

個人主義はよく批判される言葉や考え方ですが、私は個人主義は「悪」ではないと思っています。むしろこれからの社会で絶対に必要なものであると思います。

何故そう思うのか?すこーし、学術的なお話も入れつつ、書いてみたいと思います。長めです。ごめんなさい。

ちょっと難しい話になりますが、社会学者にエミール・デュルケムという人がいました。彼は、「自殺論」などで著名な功績を残した研究者なのですが、彼は100年以上前のヨーロッパ社会をこう批判しました。

現在の社会は、連帯無き個人主義社会である。

彼は持論として、社会の進化を「連帯」という概念で示しました。
言葉で説明すると難しいので簡単な画像を使いながら説明しましょう。

まず、昔の社会というのは「機械的連帯」で成り立っていました。
個人の個性や考え、意思なんて関係ありません。仕事は生まれた瞬間から機械的に決まっています。

機械的連帯

ところが社会が、発展してくると、分業したほうが効率がいいことに気付き始めます。
私たちも何かやる時には、「分担しよう!」って思いますよね。それと同じです。

そして、分担、分業が進んでくると、個人の個性や考え、意思が重要な要素になります。
このようになるとやってくると考えた社会が「有機的連帯」の社会です。

有機的連帯

このように本来は、個々人が自分の個性に合わせて、社会や他の人に貢献していくことで「有機的」に、簡単に言えば生き物のように変化していくのが近代社会である、とデュルケムは考えていました。

ところがどっこい、現実はそうなりませんでした。

これが連帯無き、個人主義社会です。
みんなが自分のことしか考えておらず、誰かに貢献しようなどとは思っていない社会です。

連帯無き個人主義社会

しかし、個人一人が「これがしたい!」と思うことなどたいしたスケールではありません。また、すべてが実現できるわけでもありません。
それにこれで生きがいなどというものは作れるのでしょうか?
自分がしたいことを実現できるとというのは一見素晴らしいことですが、「それだけ」では不十分なのです。

人間は自然の欲求として、「誰かに必要とされたい」「認めて欲しい」と思うように出来ています。
しかし、連帯無き個人主義社会ではこの部分が決定的に欠けています。
そうすると、人間は二極化します。(この辺は私の持論です)

①エゴイズムを肥大化させ、ジコチュー化する(個人主義の徹底化)
②エゴイズムを抑え込み、集団に受け入れてもらおうとする(集団主義化)


あれ、どこかで見たことのあるお話だと思いませんか?

あなたの周りを見てみてください。
自己中心的で、自分のことしか考えていないような人、いませんか?
人間関係をつくることに固執して、SNSに浸ってしまっている人、いませんか?

これが現在の個人主義なのです。

個人主義を批判する人の中に、「自分勝手な人間が増えた」など言う人がいますが、「SNS依存」であったり、人間関係に悩む人というのも個人主義が生み出した一種の病気です。一見個人主義から遠く離れていますが実際はそうなのです。

では、個人主義は「ダメ」なのでしょうか?

私はそうではないと思っています。
まだ、人間は「有機的連帯」を目指せると思うのです。

お互いがお互いの補完をする。そうすることで、誰も不幸せにならない社会を構築できる希望はあると思っています。
もちろん、100%にするのは難しいでしょうが、理論上の話です。

お互いがお互いのことを尊重し、苦手なところを補ってもらう。
それが本来の個人主義社会であるはずです。


従って、個人主義が悪なのではないと私は思います。
きちんと個人主義の意味を理解できていない人々が問題なのです。

私は、個人主義の意味をきちんと理解した生き方がしたいと思っています。
まだまだ人生駆け出しの身ですが、自分を理解したうえで、他の人や社会に貢献していける人間でありたいものです。

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